「光る君へ」に出てくる陰陽師について考えてみました。この時代は華やかな、雅びやかな王朝貴族の暮らしぶりが光を放っていました。しかし、光は政敵との駆け引き、騙し合い、裏切りという影を生みます。武士が台頭して来た平安末期まで、京都や近郊において大規模な合戦は起こりませんでした。しかし、それまでも権力をめぐる熾烈な争いが続いていました。武力による争いではないとすればどんな争いなのか、それは言葉によるものだったわけです。その平安京の舞台で見え隠れするのが陰陽師です。陰陽師の言葉はまさしく武器でした。
言葉による争いと言えば、たとえば、「口喧嘩」はまさにそのままを表していますが、ここでいう言葉による争いはもっと制度に則っています。なぜなら陰陽師は官職であったからです。陰陽師を「占い師」と呼ぶのはかなり語弊がありますが、占術が業務の一つだったのは確かです。今の日本において、占い師が国家公務員であるというのは何だか変な感じがします。税金を納めている現代日本人は、科学的でない、実証的なエビデンスがないものに血税を使いはしないでしょう。
しかし、人々は必ずしも科学的に合理的にさらに理性的に判断をして生きているわけでもないようです。たとえば、1966年の日本の出生率は1.58です。前年と翌年が2を上回っているので何かが働いているのでしょう。では何が働いているのか。「丙午年生まれの女は男に災いする」という陰陽五行思想に基づく俗説に影響を受けたことは間違いないでしょう。
占いは制度としての機能を失い、かわりに個人に内在するようになりました。国家の後ろ盾がないままに一人ひとりが自分の言葉をたよりに、時には言葉という武器をふるって、自分の運命を切り拓いています。
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