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「説明と同意」を掘り下げる

説明と同意(インフォームドコンセント)は、臨床をするうえでも研究をするうえでも基本的に大切なこととされています。


たとえば、援助者が援助の進め方についてあらかじめ丁寧に説明をし、クライエントの同意を得ることです。その際、クライエントも「どうしたいのか」をはっきり自己決定することが求められます。説明と同意がきちんと行われない状態は、援助者のパターナリズムなどと呼ばれ、望ましくないものとされています。


今回はこの説明と同意について掘り下げて考えてみましょう。すこし話が難しくなるかもしれませんが、すみません。


一概に言えないところもあるとは思いますが、日本人は自分の意見・意向をはっきり主張しないと批判されることがあります。しかし、日本文化とはそういうものだ、とも言えそうです。日本人は、「~したいです」と明確に伝える代わりに、曖昧にぼかして表現することもあります。周りの顔色を見ながら、角が立たないようにします。相手の期待をうかがいながら、その期待に沿うように意見を表明することもあります。


自分の意見を「みんな(仲間内)の意見」にすることもあります。できるだけ、「個人の決断」というニュアンスを弱めます。誰かが決めたというより、あたかもみんなで自然発生的にそう決まっていったかのようにすることもあります。決定した責任の所在を不明確にする感じです。


中村雄二郎は『臨床の知とは何か』のなかの、インフォームドコンセントについて考察した文章で、自己決定する人格的主体について、「日本人の場合、その人格的主体は、フロイトのいうエゴ(自我)ではなくて、ユングのいうセルフ(自己)、つまり意識的なエゴだけでなくその周囲に拡がる無意識を含んで成立するセルフであるからである」と述べています。


そして他人を強制する仕方は、日本の場合「パターナリズムというよりもむしろ〈マターナリズム〉、母親的包容主義というべきものであろう」と言い、マターナリズムも一種の支配の様式であるとしています。


「説明と同意」も、深く考察してみると微妙な問題を孕んでいることがわかります。



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