前回と前々回で、「雲が何かに見える」ことについて、つらつらと考えてきました。空に浮かぶ雲を眺めていると、何かに見えてくる、、、ということは、よくあることです。その方特有の個性や認知の傾向によっても、「どういうものに見えやすいか」が決まってくるのでしょうし、また、その場の状況(文化、風潮、価値観など)やどの立場から眺めるかなどの諸々が複雑に絡み合って、最終的に「あぁ、この雲は〇〇に見えるな」と判断するのではないでしょうか・・・・・というところまで考えを進めて参りました。
カウンセリングでのお話が深まってくると、「あの時は☆☆としか考えられず、苦しかった。ここで話しているうちに、☆☆にこだわらずに違う捉え方をしても良いような気持ちになり、なんだか楽になってきた」というお声もきかれます。それは、よく出会う感想のひとつです。 そのような感想に触れる度に、「雲(=なんらかの事柄)が、何か(=その方の心に生まれた何か)に見える」というのは、私たちの生活の中で意外に頻繁に生じているのだ、と感じます。心理検査の場面のみならず、まるで雲を何かに見立てるかのように、私たちはいろいろな出来事に対して「この出来事は、☆☆と受け取れる」などの判断を下しているのでしょう。そして、カウンセリングなどの体験を経て、見る側の考え方や観測場所が変化・深化してその見え方も少しずつ変わっていくならば、おそらくは以前よりも自分に『フィットするような』『腹落ちするような』見え方に出会っていくこともあるのでしょう。
クライアントの方とお会いするとき、「人というものは、雲のように『いろいろな受け取り方ができるもの』を見ると、そのときご本人の心に浮かんだ何かや、そのときのご本人にとって見えやすい何かに自然と見えてくるものだ」という人間の心のもつ自然なメカニズムに思いを馳せ、ゆっくり(そっと)その周辺に触れていくことがあります。そうやって、その方の個性や現在の状況に添った新しい見方をご一緒に探していくことも、カウンセリングの大事な、そして有益な作業であると思うのです。
(『あの雲、何に見える?』シリーズ、おしまい)
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