YouTubeを観たり、インターネットの記事を閲覧すると〇〇ランキングに目が留まることがあります。ここ2,3か月の間に見かけたのは「私立大学人気ランキング」「昭和の美女ランキング」「うどんがうまい県ランキング」などです。ちょっとどうなのと思うのは、「やめて欲しいテレビ司会者」や「もう出なくてよい紅白歌合戦の歌手」などもあります。とにかくランキングの花盛りです。
私がランキングをランキングとして意識するようになったのはラジオで聞くアメリカのポピュラー音楽のチャート、「ビルボード」や「キャッシュボックス」でした。随分昔の番組ですが、テレビで「ザ・ベストテン」を観たり、ラジオで「ポップスベストテン」を聴いたりしていました。このように書くとランキングは西洋からの渡来文化のように思えますが、どうも江戸庶民もランキングに夢中だったようです。その象徴的なイベントは相撲でした。独特の書体で書かれた番付表によって力士のランクは一目瞭然です。そのほかにも、うまい菓子、楽しい行楽地、羽振りの良い富豪などを「見立番付」として出版していたようです。
このランキング文化は、競争社会が背景にあるでしょう。もうひとつは戦国の世が終わり江戸時代のようなある種の成熟、爛熟によって、競争を俯瞰的に見る余裕が生まれたときに盛んになるのではないかと思います。言うまでもないことですが、拮抗する競争者がいないことにはランキングは成立しません。できればいろんなキャラクターの持ち主が沢山いるほうが面白くなるでしょう。
しかし、そもそも競争は人々を疲弊させることもあるでしょう。ランキングは外から見れば面白いのでしょうが、競争する当人にとっては大変なストレスになることが多いと思います。だがこうも考えられるのではないでしょうか。ストレスに身を晒すためにランキングに関わることも。良い意味のライバルと考えてみてはどうでしょう。本来、心地よいストレスを感じながら「良きライバル」とは高め合う存在を指しています。つまり実りある未来を想定できる関係のことでしょう。どんな関係も「良き」という形容詞を付けたいものです。
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