今回の記事の位置づけは、前回のシリーズ「おおらかさと捉え方」を補完する内容です。世代間の差違はあると思いますが、現代は「聴くこと」、すなわち「待つこと」の耐性が減少し、対話場面でもスピード重視になっているようです。このことを考察してみます。
今の時代、他人の話をじっくり聴いて味わうより、多くの場面で即時性や効率性が重んじられます。そして、テキスト情報や音声のみに偏りがちで、非言語的手がかりが脆弱なコミュニケーションも増えています。この傾向にはメリットと同時にデメリットも存在します。
たとえば、他人の部分的な言葉遣いを、過剰なくらい俎上に載せることは「言葉狩り」と言われます。そのような局所的な他者理解の仕方は、手間がかからない利点がありますが、一面的で主観的な決めつけを生じやすくなります。それは、攻撃性の発露にはなりえても、建設的な話し合いとは言いにくいようです。もちろん、多様なケースがあるので一概には言えません。たとえば、社会的場面で明らかに使えないタブー語が問題とされる場合は例外です。
一方、人間の表現の全体を捉えるとは、どういうことでしょうか。それは、言葉狩りとは基本的に逆の行為であると思います。言葉の端々の意味にも注意を払いながら、その時間内に話された文脈、さらには今までに話された内容の文脈という、より大きな流れを把握しながら聴いていくことです。たとえば、ある文学作品を鑑賞する場合でも、時代背景や筆者の執筆動機などを知ることで、異なる感動が生じることがありますよね。
さらには「言外の部分」に着目することも大切です。いわゆる「非言語的な理解」や「行間を読む」という把握の仕方です。話し手の表情や仕草、一度言いかけてやめる行為、しばらくの沈黙など、発話の周辺情報に話し手の本音が現れることがあります。
なかでも、とくに沈黙は多義性や情緒的意味合いの程度が強く、状況によりいろんな重要な意味を持つ場合があると感じます。この事実は古くから気づかれていて、歴史的に有名なユングの言語連想検査では、被験者の長い沈黙(反応時間の長さ)も、被験者の人格特性を知る一つの重要な指標になるようです。
ここ数十年の状況を見ると、善かれ悪しかれ、心理臨床の世界であっても対話の即時性や効率性を重んじる時代の傾向をもろに受けています。それは、社会に組み込まれた活動である以上、ある程度は必要なことです。しかし、他の領域に比べれば、時間をかけて人間の表現全体を受け止めていく精神が受け継がれている世界でもあります。そこに私は希望を持ち続けています。
スズメ
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